神戸 ディライト訪問医療マッサージ 昨日・今日・明日

神戸 ディライト訪問医療マッサージの日記です。

「神の手」の真実

こんにちは、訪問医療マッサージ ディライトの徳地です。

 

前回は、

施術において感覚を大切にしている、

ということを書きました。

身体の発している声を聴く、という姿勢、

施術者側の在り方のようなもの

を考えてみました。

 

さて、

感覚を重視する、ということですが、
ならば、知識や技術は必要ないのか、

というと、
けっしてそんなことはありません。


人の身体に関わるうえで、
解剖学、生理学、病気に関する知識は

欠かせません。

そもそも、

私たちマッサージ師、鍼灸師

施術をおこなう前の段階で、
相手が施術の対象者かどうか、

そこの判断をしなくてはいけません。


施術の現場にいると、

ときとして急性の疾患で

専門の医療処置を受けた方がいいと

思われる方がいらっしゃいます。


もちろん、

そのような場合には施術を中止して、

適切な医療機関での受診をすすめますが、
まずは的確な判断、迅速な対処が必要となるのです。
その際には、やはりそれまでの

経験プラス知識量がモノをいうのです。

 

医療の世界では、

先人が築き上げてきた膨大な体系のおかげで、
現代はより正確な診断、

効果的な治療がおこなわれるようになっています。
それは現在も続いていて、

これから先、さらに深化していくことでしょう。

とてもいいことだと思います。

 

これらのことを踏まえたうえで、

それでもなお、

感覚することの重要性ははずせないと思っています。

 

高度な外科手術をおこなう高名な先生が仰っていましたが、

難しい手術で必ずしも想定どおりにすすまないとき、

あるいは突発的なアクシデントの際に、

最後は感覚を頼りにしているということでした。

違和感を感じて自然に手がそこへ行く、

と語っておられました。

 

いわゆる

「神の手」

と言われるスペシャリストの先生が、

生まれつき人並み外れた能力を持っている、

ということもあるかもしれません。

 

しかし、

そこに至るまでの過程を考えるに、

やはり膨大な知識と経験の裏打ちがあるからこその、

極限状態での神業が出てくるのだと思うのです。

それは言いかえると、

 

見える世界の広さ、深さ

 

がちがうということではないでしょうか。

 

持てる選択肢の幅のちがい

とでも言いましょうか。

 

つきつめると、

自由度のレベル

がちがうと言えるかもしれません。

 

おっと、話があらぬ方向へそれてしまいそうなので戻します。

 

そのような膨大な裏づけが、

潜在意識レベルで統合されて

感覚の働きと相まって

的確な動きとして表現されるのではないか

 

と、考えます。

 

ですから、

裏づけされた感覚

というものを大切にしていきたいと思います。

理性的判断・思考と、

感覚したものとのバランス。

 

長くなりましたので、改めます。

最後までお読みいただきありがとうございました。