神戸 ディライト訪問医療マッサージ 昨日・今日・明日

神戸 ディライト訪問医療マッサージの日記です。

追い風も向かい風も。

こんにちは!

ディライト訪問マッサージ 院長の徳地です。

 

テレビで年始恒例の箱根駅伝を中継しています。

1月の冷たい空気をものともせずひたすら前を向いて走る選手。

苦しさに顔を歪ませながら

前で待つ選手に少しでも早くたすきを渡すためだけに。

大舞台でみずからの限界を超える力を、

何か見えない力に引きつけられるように

けっして冷静さを失わずに走り切る。

 

入れ替わる順位、

勝利を確信された者が失速し、

あきらめない者たちが猛烈に追い上げる。

周りの声が聞こえているのか、もはや自分の声だけなのか。

 

この人たちには穏やかな正月も、

家族と過ごす時間もまるで別世界のことなのだ。

 

彼らの姿を見ている自分にも

力が湧いてくるのを感じる。

選手の走りを追い風に、加速していけそうな気がする。

 

前を向いて走る。追い風も向かい風も。全力で!

新年を迎えるにあたり。

謹賀新年

ディライト訪問医療マッサージ院長の徳地です。

旧年中は大変、お世話になりました。
本年もなにとぞよろしくお願いいたします。


さわやかな朝の空気とともに新年を迎えられたことをうれしく思います。


例年、正月というとどうしても生活リズムを乱してしまい、

食べ過ぎ、食べ過ぎ、夜ふかし、運動不足の

ダラダラした時間をおくっていたのですが、、、


経験上何もいいことはなく、

むしろあとで立て直すのに苦労したり、後悔することばかりでした。


そこで、今年はできるだけいつもと変わらず、

いやそれ以上にこの休みの時を密度の濃い充実した時間にしようと決めて、

年末より意識してきました。


まずは何をするにも惰性ではなく、よく考えて取りかかる。

本当に必要なことなのか。今すべきことなのか。

それをすることで次に、未来につながる行動になるのか。


決めたらあとは行動あるのみ。

考え過ぎて動かないより、

拙速でもいいので実践と改善を繰り返すことで前に進む。


元日の朝に、今年一年の行動指針を忘れないようここに記させていただきます。


あらためまして皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします!


ディライト訪問医療マッサージ
徳地 静夫

The whole man must move at once.

こんにちは!

ディライト訪問マッサージ 院長の徳地です。

 

先日、ある方の施術が終わり、

次の方のお宅へ向かう車の運転中、

ふと次の言葉が浮かんできました。

 

“The whole man must move at once.”

 

以前、そう、かなり昔のことだと思いますが、

何かの本に、やはり引用というかたちで書かれていた言葉です。

もう詳しい内容は忘れてしまいましたが、

意味としては、

 

「その人のすべて(全人格)が同時にことにあたらねばならない」

 

という感じだったように思います。

(ずいぶん昔のことなので、間違っているかもしれませんが、、、)

言葉の解釈は人や状況によってさまざまなものとなるかと思いますが、

おおよそ、大義は上に書いたようなものであったかと。

 

なぜこの言葉が急に、それも運転中の車内で浮かんだのか、

今思い返すに、

直前に施術していたところでの思うところ、

感じたことがそこにつながったのではないかと思います。

 

その時の私は、この言葉を

「身体の使い方」

という意味で

受けとりました。

 

どういうことかと言いますと、

施術のときもそうなのですが、

人の動きというものは、

身体をどのように使うか、

ということに始まり、

そこから

「力、動き」を外部のものに伝えていく過程を踏むのですが、

そのときに、たとえば手の指先一つを動かすにしても、

実はそれを支える腕、上体、腰、脚、足の指先すべてにかならず

動きをともなうことであり、

すべてが連動してはじめて、

美しい無駄のない、調和のとれた動きが

達成できるのだということです。

 

それが、たとえば

指先だけ、あるいは腕だけで動かしている、

などということになると、

一見同じような動きに見えるかもしれませんが、

その中身、効率、バランスは

まったく異なったものになるのだということです。

 

施術の際に、つい無理な身体の使い方をしてしまったり、

指先だけ、手先だけで気が抜けた触れ方をしていることへの

反省といいますか、

振り返ったときにこの言葉が思い出されたのです。

 

このようなことは頭では理解していたつもりですが、

つい、日々の生活、施術の現場で

心ここにあらず、になっていないか。

ややもすると散漫な意識で接していないか。

今、ここで全身全霊でことにあたっているか。

身体の扱いだけでなく、

人との関わり、

コミュニケーション、

勉強その他、

あらゆることに活きてくる言葉だと思いました。

このタイミングで現れたことに感謝したいと思いました。

 

しかし、調べてみたのですが、

どこに書かれた言葉なのか、だれの言葉なのか、

未だにわかりません、、、

ご存知の方がいらっしゃったら教えてくださいませ。

自分が考えた考えは自分が考えたと考えていた。

こんにちは!

ディライト訪問マッサージ 院長の徳地です。

 

先日からいくつかの本を読んでいて、

偶然にも同じようなことに触れている箇所があり、

いろいろ考えるヒントが得られました。

 

その書かれていた内容というのが、

 

「人が何か行動を起こすとき、普通は自分が決断したと認識しているが、

実際はそれよりも先に脳からの指令が出て、それを自身が決めたことだと

誤認識しているだけである」

 

というものでした。

 

分かりやすく言うと、

(以下、引用)

日々の暮らしの中で、立ち上がる、言葉を話す、腕を振り回すなど、脳はあらゆる行動について決断を下す。だが、決断を下した直後に脳は二つのことをする。

一つは、決断を意識化する部位に信号を送ること。もう一つは、足や口や腕に送る信号を遅らせることである。その結果、“あなた”は、「自分がたったいまこの決断を下した」という信号を意識し、自分がその信号と矛盾しない行動をとったことを確認し、すべてを動かしているのは“自分だ”と誤って思い込む。

(「超常現象の科学」リチャード・ワイズマン著 P162より)

 

ということです。(分かりますでしょうか?)

 

別の本には、

 

「人の思考は自分で考えているように思っているが、よく観察してみると、

どこからともなく浮かんできて、やがて次の思考に続いていく。

それは、まるで深い海の底から水の泡が水面に浮かんでくるかのようである。」

 

というような内容が書かれていました。

それぞれまったく異なるジャンルの本でしたが、

そこで書かれていた内容には

大いに共通する部分があるように感じました。

 

これらを読んで反芻したすえに、

 

「意識的な行動というものは、実は無意識のレベルに影響されている」

 

と私は解釈しました。

 

行動を変えようと思ったときに、

意識レベルにいくら働きかけても

なかなか変わりにくいというのが

多くの方に共通するところかと思います。

 

タバコを止めよう、

お酒を止めよう、

甘いものを控えよう、

毎日ブログを更新しよう(笑)、、、

意思の力で頑張っても、なかなか大変です。

 

そこで、

行動の源泉とも言える、

無意識レベルから変化を起こす

ような働きかけが必要だと思われます。

 

さあ、それにはどうすればいいだろう?

 

考えてみましたが、

とりあえず実際に身体を動かす

行動の積み重ねによって書き換えていく、

というのは効果があるかもしれない、と思いました。

アタマで考え方を変えるよりも、

体感覚によって変化していく、

という感じでしょうか。

成功した経験を繰り返す、とも言えるかと思います。

 

これは施術にも、健康維持にも活用できそうな気がしてきました、

さっそく応用してみたいと思います(*^_^*)

どうしても心配してしまうときは。

こんにちは!

ディライト訪問マッサージ 院長の徳地です。

 

台風がまたもやって来ましたね。

これを書いている現在(9月30日夕刻)、

風がきつくなってきました、

雨も降ってきています。

前回のことがありますので、

あらためて無事にやり過ごせるよう、

注意しつつ備えたいと思います。

 

さて、

施術の現場で多くの方に日々接していますが、

時として、利用者様の中に

 

「ものすごく心配性な方」

 

がいらっしゃいます。

中には脳やその他身体的な疾患に伴う症状として

そのような状態にある方もおられますが、

元々の性格といいますか、

生来、あるいは人生の過程において

そのような傾向にある方もおられるわけです。

 

人は誰しも人間関係で悩んだり、

これから起こる未来に対して不安を感じたり、

自身の病気を心配したりするものですが、

それが度を過ぎると、

身体を悪くしたり、心を病んでしまう方向へ

進んでしまうのです。

 

本来、物事やその経過について思いをめぐらし、

考える、起こり得ることを想像することは

備える、という意味でも大切なことだと思います。

たとえば、

台風やその他自然災害の発生を想定して、

被害を未然に防ぐ、もしくは最小限に食い止めることが

重要であることは、どなたも経験的に理解できることでしょう。

 

人生設計においても、

経済的なやりくり、仕事のキャリア形成、もしものための保険など、

未来をある程度予測して対策をたてるかと思います。

このときの予測は、

 

「最悪の事態を想定して備えよ」

 

ということがよく言われます。

ここで重要なことは、いったん備えを万全に整えたら、

「そのことを忘れる」

ということです。

 

いつまでも最悪の事態をイメージして持ち続けていると、

当然毎日が暗い気分になって楽しくありませんし、

精神的に健全とは言えません。

「イメージすることでその事自体を引き寄せてしまう」

なんて考えもあるぐらいですので、

やっぱりあまりよいことではないでしょう。

万全の対策を備えたという安心感を根拠に、

「楽観的に行動する」

これが、一番理に適っているんじゃないでしょうか。

 

話が少し逸れてしまいました、、、

 

とはいえ現実には、

複雑な人間関係だったり、身体の不調が相まって、

「どうしても心配性な方」

はおられます。

このような方には、いくら言葉で説明したり

理屈で納得してもらおうと思っても、

そう簡単にその姿勢が変わるものではありません。

それは自分のことを振り返ってもよくわかります(汗)

 

しかし、

過度の心配、不安、思いわずらいが

体に不調をきたしたり、

病気が改善する妨げになっているのであれば、

やはりそのままにしておくことはよくありません。

そこで、

どうしたらそのような事態を変えることが出来るか、

ということですが、

ひとつ施術の現場で提案している方法として次のやり方があります。

 

【あれこれ頭の中を駆けめぐる思考を、身体を意識する方向へ変える】

 

頭の中で次から次に現れる思考を

無理にストップさせようとしても無理なので、

身体の状態を感じることへ集中してみる、ということです。

たとえば、

 

心臓の拍動を感じてみる。

体のどこかが緊張していないか感じてみる。

呼吸の深さを感じてみる。

手先足先は冷たくないか。

皮膚の表面の感覚はどうか。

などなど。

 

このとき注意することとして、

あくまで感覚を感じることに集中するということです。

受け取った感覚について、いろいろ解釈を加えたり、

「これは〇〇が悪いんじゃないだろうか?」

などと考えだすと、また思考の泥沼にはまってしまいます。

あくまで感じるだけです。

実は感じるだけで、身体は良い方向へ変化し始めます。

これは不思議なのですが、身体の仕組みとしてそうなっているようです。

かの有名な言葉が思い出されます。

 

「Don’t think. FEEL!(考えるな!感じろ!)」

         (ブルース・リー燃えよドラゴン」より)

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。