神戸 ディライト訪問医療マッサージ 昨日・今日・明日

神戸 ディライト訪問医療マッサージの日記です。

同意書問題2018待ったなし!

こんにちは!

訪問医療マッサージ ディライトの徳地です。

 

今日は現場での仕事が終わったあと、

月に一度のミーティングでした。

 

今回一番話し合ったことが、

来月から内容が変わる、

訪問マッサージの同意書のことでした。

(※同意書というのは、利用者様が健康保険を使って

訪問マッサージを受けるにあたり必要となる、

主治医が発行する診断書のような書類のことです)

 

この同意書に記入する項目が

より細かく厳格になったので、

それへの今後の対応が必要になるという話です。

 

同意書に書かれる内容によっては、

保険適応での施術が難しくなる、

さらには、

当院の収入に大きく関わってくるという、

見方によっては非常に厳しい状況かもしれません。

正直、経営的にも踏ん張りどころといえるかもしれません。

なかには、これを機に廃業する事業者も出てくるかもしれない。

 

 

しかし!しかし!

 

 

国の保険財政がひっ迫している昨今の状況では、

無駄な医療費を減らすためにも

保険適応が厳しくなるのも仕方がない、

むしろそれによって本当に必要な医療が

充実するのであればいいことでもある。

 

いくら制度改正や療養費の改定が厳格化したといっても、

それはうらをかえせば

あたりまえのことをきっちりと誠実におこなっていれば

なにも恐れることはない、

むしろ業界の健全化につながるのではないか、と

至極あたりまえの結論に達したのでした。

 

とはいえ、

取り組むべき課題もたくさん見えてきました。

これをいい機会として、

一つひとつ見直して改善していこうと

思いを新たにしたのでした(*^_^*)

プリン体は共犯者なのか!

こんにちは!

ディライト訪問マッサージ 院長の徳地です。

 

先日、空いた時間にスマホをいじっていたら、

こんな記事に出会いました。

 

wedge.ismedia.jp

 

世間にあふれる栄養情報、健康法には

根拠のうすい、あるいはまったくないものが

たくさんありますよ、

という内容でした。

くわしくは、ぜひ本文に目を通していただくと

おもしろいと思います。

 

私もふだんから、健康にたずさわる者として

インターネットや一般書、専門書など、

興味や関わりのありそうな分野には

あれこれ目を通しているので、

 

この記事に書かれていることには

ほとんど賛成、納得なのですが、

この先生のように、データをしっかり提示して

根拠を示していると説得力がありますね。

 

「夏バテ防止にはこの食材」

「発酵食品が良い」

などなど、

いずれも根拠がない、と言われると

ちょっとガッカリしてしまいますが、、、

 

それはそうと、文中にはこんなくだりもありました。

 

プリン体ゼロのビールもそうでしょう。体内でプリン体から尿酸が作られ血中濃度が上がり痛風になる。だからプリン体ゼロのビールを、となる。単純な因果推論が展開されています。でも、日本人男性3300人の酒の摂取量を調べ、その後6年間の高尿酸血症の発症状況を調べたところ、 プリン体をたっぷり含むビールを飲んでいた人も日本酒を飲んでいた人も、飲んでいない人に比べて相対リスクは同じように高かった。日本酒にはプリン体はごくわずかしか含まれていないにもかかわらずです。

 尿酸は、ビールから摂取するだけではなく体内でほかの物質から合成されます。アルコールはその合成を促進させるので、主犯はアルコール。ビールの中のプリン体は共犯の一人でしかないのです。

 

えーっ、そうなのぉ!?

じゃあプリン体ゼロってなんなの!

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(※本文と画像はいっさい関係ありません、あしからず)

 

もう誰も信じません、、、(泣)

「神の手」の真実

こんにちは、訪問医療マッサージ ディライトの徳地です。

 

前回は、

施術において感覚を大切にしている、

ということを書きました。

身体の発している声を聴く、という姿勢、

施術者側の在り方のようなもの

を考えてみました。

 

さて、

感覚を重視する、ということですが、
ならば、知識や技術は必要ないのか、

というと、
けっしてそんなことはありません。


人の身体に関わるうえで、
解剖学、生理学、病気に関する知識は

欠かせません。

そもそも、

私たちマッサージ師、鍼灸師

施術をおこなう前の段階で、
相手が施術の対象者かどうか、

そこの判断をしなくてはいけません。


施術の現場にいると、

ときとして急性の疾患で

専門の医療処置を受けた方がいいと

思われる方がいらっしゃいます。


もちろん、

そのような場合には施術を中止して、

適切な医療機関での受診をすすめますが、
まずは的確な判断、迅速な対処が必要となるのです。
その際には、やはりそれまでの

経験プラス知識量がモノをいうのです。

 

医療の世界では、

先人が築き上げてきた膨大な体系のおかげで、
現代はより正確な診断、

効果的な治療がおこなわれるようになっています。
それは現在も続いていて、

これから先、さらに深化していくことでしょう。

とてもいいことだと思います。

 

これらのことを踏まえたうえで、

それでもなお、

感覚することの重要性ははずせないと思っています。

 

高度な外科手術をおこなう高名な先生が仰っていましたが、

難しい手術で必ずしも想定どおりにすすまないとき、

あるいは突発的なアクシデントの際に、

最後は感覚を頼りにしているということでした。

違和感を感じて自然に手がそこへ行く、

と語っておられました。

 

いわゆる

「神の手」

と言われるスペシャリストの先生が、

生まれつき人並み外れた能力を持っている、

ということもあるかもしれません。

 

しかし、

そこに至るまでの過程を考えるに、

やはり膨大な知識と経験の裏打ちがあるからこその、

極限状態での神業が出てくるのだと思うのです。

それは言いかえると、

 

見える世界の広さ、深さ

 

がちがうということではないでしょうか。

 

持てる選択肢の幅のちがい

とでも言いましょうか。

 

つきつめると、

自由度のレベル

がちがうと言えるかもしれません。

 

おっと、話があらぬ方向へそれてしまいそうなので戻します。

 

そのような膨大な裏づけが、

潜在意識レベルで統合されて

感覚の働きと相まって

的確な動きとして表現されるのではないか

 

と、考えます。

 

ですから、

裏づけされた感覚

というものを大切にしていきたいと思います。

理性的判断・思考と、

感覚したものとのバランス。

 

長くなりましたので、改めます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

感覚を感覚する。

こんにちは!

ディライト訪問マッサージ 院長の徳地です。

 

このところ、施術を行う際に意識していることがあります。

 

「感覚を大事にする」

 

ということです。

今更ながら、ですが、あらためて深めています。

 

感覚と言っても、いろいろあると思うのですが、

施術の現場では、まずは

利用者様の身体が発している動き、

身体の声とでもいいましょうか、

そこに意識を集中するようにしています。

 

力を入れてグイグイ押したり、

なにも考えずにただ型をなぞっているだけでは

けっしてわからない、微細な動きです。

そっと、しかしぴったりと密着した手で

身体に触れていると、いろんな情報が入ってきます。

細かく揺れていたり、ゆったりと波のような動きをしていたり、

あるいはがっちりと固まって動かないようなこともあります。

すべて身体の声、状態を表しているのだと思います。

 

それに対して、こちらはどうするか。

まずはその動きについていくことを大切にしています。

こちらが誘導するのではなく、

あくまで相手の身体についていくのです。

身体がそれを望むのなら、そうさせてあげる。

こちらはそれに寄り添って

安心して心置きなく動ける環境を提供するだけ。

 

それだけで何になるのか、と思われるかもしれません。

でも、実際そうやってみると、身体の緊張がゆるんだり、

利用者様の表情がやわらかくなったり、

いろいろ興味深い変化が見られるのです。

 

このことを経験すると、体感として

 

「身体はみずからの治し方を知っているのだ!」

 

と感じずにはいられません。

 

まだまだおもしろい現象がみられるのですが、

長くなりますのでまたあらためて書いてみたいと思います。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

地震のニュースに思う。

台風が過ぎ去ったかと思うと、

今度は北海道で大きな地震が発生してしまいました。

立て続けの災害に、言葉もありません。

このたび被害に遭われた方々には、こころよりお見舞い申し上げます。

 

電気を使えないということが、

ここまで生活に影響するとは思っていませんでした。

それだけ電力に頼って成り立っているのが、

現代社会だということなのですね。

便利だということは、

それを失ったときの影響も大きいということを

痛感しました。

 

世界的に情報化社会が押し進められ、

インターネットを介してあらゆる物や情報、お金までもが

やりとりされるようになりました。

今後もこの流れはますます加速していこうとしています。

コンピュータによるスピード化のおかげで効率化がすすみ、

思ったことが実現するまでの速度が格段に速くなりました。

 

反面、それによる弊害も

あらゆる方面で起きているのも事実です。

人間性がないがしろにされたり、

そこからこぼれ落ちてしまう人たちのことが指摘されています。

効率化による精神的ゆとりが失われることも危惧されています。

 

かといって、この流れを否定したり元に戻そうとすることは、

もはや不可能だし、非現実的でしょう。

今の社会の在りようは、少なくとも

一定数の人間が望んだからこそたどり着いたかたちのはずです。

そこには、解決してきた過去によって築かれた

「今」があると思うのです。

 

物事には必ず両面があるものです。

メリットもあればデメリットもかならず出てくるもの。

両方のバランスをとりながら、

うまく活用して進んでいくことができたらいいのではと、

漠然とですが思います。

 

ただ、いざというとき、

たとえばこのたびのような災害時などに、

「便利だけど、なくてもなんとかなる」

という状態は確保しておきたいなあ、と思いました。

便利にどっぷり浸かってしまって、

非常時に為す術がない、という状況だけは避けたいです。

 

そこはやっぱり、

直接的な人間のつながりに勝るものはないと、

あらためて強く思うのです。

息づかいとぬくもりが感じられる距離感に、

いいことも災難もわかちあえる人がいるということ。

こんなときにこそ

大切なものが何かっていうことを、

ぼんやり考えながらテレビを見ていたのでした。